開発途上の新興住宅地に建ったばかりの家にやってきたころのハラス、成長していくハラスと作家との豪快な散歩(!)ぶり、そして、心を打つのは雪山で行方不明になったハラスの捜索行であろう。
行方不明になったとき、既にハラスは老犬の域に入ろうとしていた。みずからの不注意を悔い、寝食を忘れて奔走する作家の意識は、いつか必ず来るであろうハラスとの別れに向けられる。愛するがゆえに深くなる悲しみ。その存在の重さ。そして、ともにハラスを探してくれる人々の思い。
作家はまた、犬を飼う人々のあり方にも言及している。飼われっぱなし、鎖につなぎっぱなしにする、また、周囲に危険を及ぼすかもしれない犬を引き綱もなしに連れ出したり、脱走を許してしまう飼い主の無責任さに、作家は厳しい目を向けている。
わたし自身、犬を飼うのは初めてだし、座りっぱなしの時間が長いため、犬がいれば散歩でもするかなというくらいの気持ちだったが、小さな柴犬が来て我が家の犬となったとき、これまで人に対して向けたことがないくらいの愛情を抱き始めている自分に戸惑うほどであった。
ハラスのもらわれていった子どものうちの1匹は「チャチャ」という名をつけられたとのこと。うちの犬の名は、「茶々」だが、「チャチャ」と書くときもある。それやこれやがあいまって、これまで遠い存在だった作家を身近に感じている。
ハラス亡き後も作家は犬と暮らし、『犬のいる暮らし』という作品も書かれているとのこと。こちらも読んでみたいと思う。