ISBN 034543479X
1958年夏、32年後の1990年秋、その5年後の1995年秋の3部で構成されている。
1958年夏の夜、聞き慣れない物音で目を覚ました4歳のルースは、親の姿を求める。ルースの父テッドと母マリオンは別に暮らしており、ルースの住む家には交代で寝泊まりしている。今夜、ルースの家に来る番は母。両親の寝室でルースが見たのは――。
児童文学者として名をはせつつ、妻ある身で若い女性を追いかけてやまない飲んだくれの父テッド。5年前に事故で亡くした息子トーマスとティモシーの写真を家中に飾る美しい母マリオン。後に作家となる娘ルース。この夏、その家に来た16歳のエディ。アーヴィングらしいちょっとはずれたような人物がつくり出す独特の世界がある。
みんな勝手なのだけど、なぜかだれも憎めない。アーヴィングの筆致が哀歓を感じさせるものだからかもしれない。哀しくて、おかしくて、そして何よりとっくりと語りを楽しませてもらった。アーヴィングが語る物語にいつまでも耳を傾けていたい気分だ。
2年前に"THE CIDER HOUSE RULES"を読んだとき、アーヴィングの他の作品も読みたいと思って買ってはみたものの積んであった本である。
"THE CIDER HOUSE RULES"を読んでいたときに、自分にはアーヴィングはまだ難しい、わかりっこないとなぜか決めつけてしまった。それ以来、いつかはアーヴィングをと思いつつ、でもやっぱりわたしには理解できないんじゃないかという葛藤というか、トラウマめいた気持ちにとりつかれていた。
だけど、今回、たまたま気が向いて読んでみると、期待どおりしっかり楽しんでいる。あの葛藤は一体何だったのだろう?
合間に何冊かほかの本を読みながら、じっくり時間をかけて読んだこの1冊。最初は"THE CIDER HOUSE RULES"の方がおもしろいんじゃないかと思ったが、読み終えてみると、こちらの方がすぐれているような気がしている。
人物たちは"THE CIDER HOUSE RULES"より一層常軌を逸し、ぱっと見て共感しかねる部分もあるが、読み終えた今、登場した人物すべてが愛おしく思え、温かい何かに包まれているような、そんな余韻にひたっている。小説としては"THE CIDER HOUSE RULES"よりすぐれているのではないかと思う。
アーヴィングを読むのはわたしにはまだちょっぴり背伸びすることになるが、それでも、わたしはアーヴィングが好きだ。他の作品もぼちぼち読んでいきたい。
以下は読書メモ。
第1部で最も印象に残るのは4歳のルースだ。幼いこの子だけが平常心を保っているというか、だれよりも常識的に見えるのはなぜだろう? しっかり者というか、何というか……。母親に捨てられようとしているのにも気づかず、母親を慕うふびんな子どもなのに。同情を買ってもいいはずの役柄なのだけど、それをよしとしない凛としたところが感じられる。不思議だ、たった4歳の女の子なのに。
そしてまた、強烈な印象を与えるのが「足」にまつわる話の残酷さ!
"THE CIDER HOUSE RULES"を読んでいたときも思ったのだけど、アーヴィングは、風にまつわる場面を描くのがうまい。秘密にしていることや通常なら表に出るはずのないものがいたずらな風に乗って舞い踊る場面が妙に印象的。
"THE CIDER HOUSE RULES"では、キャンディの秘密だったけど、ここではテッドが描いた浮気相手の絵。おつき合いが深まるにつれてモデルの露出度が過激になるというシロモノ。きわどい描写にどきりとさせられる。
エディ、ルースたちのこれからの姿が断片的に提示され、1958年の夏は終わる。
第2部の舞台は第1部の終了から32年経った1990年秋。48歳のエディは相変わらずマリオンを思いながら、マリオンとの思い出を綴っている売れない小説家。77歳のテッドも相変わらず若い女性のお尻を追いかけているけど、どうやら印税が入るので生活には困っていないらしい。4歳だったルースも36歳。未婚。彼女も小説家となり、3人の中で一番の売れっ子。他言語への訳書も出ているけど、わたしの目から見るとあまり興味を引く題材ではないのだけど(^^;)
ルースの朗読会にエディが招待され、駆けつけるところから始まるのだが、タクシーには乗り遅れるは、ずぶ濡れにはなるは。32年ぶりの再会にしては、あまりにみじめったらしい姿で登場する羽目になる。
朗読会の後、ルースとエディは二人で昔のことを語り合う。エディの記憶に助けられ、ルースの中でマリオンが生き始める。
ルースにはアランという編集者の恋人がいるけど、どうもルースは煮え切らない。ルースの親友ハンナは引っ込みがちなルースとは正反対の発展家。こともあろうに、このハンナが――。
お年の割にはお元気な父をスカッシュで負かそうとしたルースは父の好敵手でストロベリー・ブロンドの法律家と一戦交えるが、意外な展開に発展する。
スカッシュで父に勝ち、ブックフェアでの宣伝も兼ねてヨーロッパに出かけたルースは次の小説の取材のため飾り窓の娼婦を訪ねる。
いないはずのマリオンの存在感が足元のおぼつかない他の登場人物たちを圧倒している。アーヴィングは男のだらしなさやみじめったらしさを書かせたらピカイチだ。ほんとに男ってもう……とため息をついてしまった。
ルースとハンナ、この二人の友情(?)もよくわからない。おつき合いが続いているのが不思議。
テッドがルースに兄たちの死に様を語る場面、ここはもう何と言えばいいのか……。ここまでするか! もうちょっと何とか言いようがあるんじゃないかと思うけど。テッドには父性がないのかと思ったが、まったくないわけでもないらしい。ただ、表現の仕方が世間の人と大きく違っているような。
ルースが飾り窓の娼婦にこだわる場面が冗長に感じられる。そこまで引っ張る必要があるのだろうか。若いコに惹かれるところは、マリオンをたどっているようでおもしろかったけど。
飾り窓の娼婦の話は意外な展開を見せる。ルースが見た光景と、父とルースで作った作品の世界が重なるあたりで、なぜだかじーんとくる。
そして、機中で読むようにとエディから渡された本に描かれた写真! またまたここでじんじんくる。ありえない、と思いつつ、アーヴィングの術策にはまってしまっている。
ついに結婚する決心をしたルース。相手は意外だったなぁ。ほかの人の方がよかったんだけどなぁ。子どもも生まれて母になったルースに、4歳のころのルースが重なって見える。ルースの子どもはどんな子ども時代を過ごすのだろう。どうか幸せでありますように!
冗長な感じを与える第2部だが、それも第3部のための伏線だったのだろうか。第3部では娼婦の娘のこと、ルース、エディ、ハンナ、アムステルダムの警官たちの人間模様が描かれている。そして、物語は一気に大団円へと展開する。
16歳の夏の「60回」を40年近くも大事に大事に抱え続けて生きてきたエディはある意味でとても愚かだ。けれども、わびしい部屋で孤独に暮らすエディに何とも言えない愛しさを覚え、エディの思いが愚直なまでに純朴で悲しくなるほど純粋なのではないかと思うようになった。だから、あの結末には胸が熱くなった。
テッドとハンナは何だか報われないような感じがする。それもまた人生?
2005年04月29日
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバックURL
http://blog.seesaa.jp/tb/3221055
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。
この記事へのトラックバック
http://blog.seesaa.jp/tb/3221055
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。
この記事へのトラックバック

