ストーリー・ガール、語りの技で、魔法のようにわたしたちを違う世界に連れて行ってくれる少女。時を超え、国境を超え――。夢を見ることを思い出させ、物語の力を感じさせ、ありきたりの日常に光と希望を与え、生きる喜びをよみがえらせてくれる。そう、それがストーリー・ガール。
トロントに住む13歳のベバリーと弟のフェリックスは、父がリオ・デ・ジャネイロに単身赴任したため、いとこたちの住むプリンス・エドワード島のカーライルで暮らすことになる。
カーライルにはアレックおじさんとジャネットおばさん夫婦と13歳のダン、12歳のフェリシティ、11歳のセシリー、ともに独身のロジャーおじさんとオリヴィアおばさんの家には14歳のセアラ・スタンリーと雇いの少年ピーターが住んでいた。
セアラは幼いころ母を亡くし、芸術家肌の父は気ままに各地を放浪していた。そのたぐいまれな語りの才能ゆえに「ストーリー・ガール」と呼ばれるセアラといとこたち、友人のセアラ・レイらとともに過ごした夏をベバリーが回想する形で綴られていく。
モンゴメリにしては珍しい少年の一人称による物語。語り部という名がふさわしいストーリー・ガールを中心に、実際的なダン、料理の上手で横柄なところもある美少女フェリシティ、純真で心優しいセシリー、雇われの身であるが才気を感じさせるピーター、泣き虫セアラ・レイ、そして、生真面目な語り手ベバリー、ひとりひとりの個性がまるでそばにいるかのようにいきいきと描かれている。
最後の審判の日が来ると大騒ぎをしたり、おもしろい夢を見るために奇抜な方法を考え出したり、子どもたちの日々は驚きと興奮にあふれている。そんな日々を、大人の視点は一切入れずに、子どもたちの目に映るものだけを描いていく。ここでは主役はあくまでも子どもたちであり、大人は背景でしかない。
ぽっちゃりしているのをフェリシティにからかわれているフェリックスはやせたがり、女の子たちはきれいになりたがり、誰が一番説教が上手か、酸っぱいりんごをいかにこともなげに食べられるかを競ったり、ケンカして仲直りして、ちょっぴりだれかにあこがれてみたり。子どもから大人に移ろうとするひとときの、そのときだけのきらめき。
大人になったベバリーが、そんな子どものころを「あのころ、ぼくたちは」振り返る場面が随所に現れる。ベバリーとともに「あのころのわたし」を思い出し、きゅんと切なくなる。この物語は、だれにとっても大切な「あのころ」を思い出させてくれる。
「書く少女」エミリーに対し「語る少女」ストーリー・ガールという違いはあるが、エミリーに通じるものがある。実を言うとわたしは、良妻賢母となったアンよりも結婚前までではあるが書くことにこだわったエミリーに惹かれている。語りの技を持たないわたしはストーリー・ガールの語りをいつまでも傍らで聞いていたいと思う。
テレビドラマ『アヴォンリーへの道』はこの作品を題材としているが、舞台となる場所や人物の設定はドラマオリジナルのものである。見たいような見たくないような、ちょっと複雑な気分である。
原書マラソン 1855/10000

