2004年09月26日

サガン追慕

 9月24日、作家フランソワーズ・サガン、69歳で死去との報が入る。

 ずっと記憶の底に沈んでいた名前だった。サガンを読んだのは高校生の頃。そのころの文学好きの少女にとって、サガンを読むのは通過儀礼のようなものだった。

『悲しみよこんにちは』を読んだときの衝撃はよく覚えている。繊細で多感で、そして邪悪とも言える少女の心の動きに目がくらむようだった。その後、本の名前すら覚えていないけれど、つかれたように何冊か一息に読んだ。危なげなゆらめき、そのまぶしさに魅せられた。

 サガンの小説に描かれた女性たちは、物憂げでありながら、きらきらと輝いていた。サガンの名とともに、その傍らにあった朝吹登水子さんの名も、脳裏にくっきりと刻み込まれた。

 それはまるでひとときの夢のようだった。いつしか、サガンを手にとることもなくなり、その名すら忘れていた。

『ライ麦畑でつかまえて』に関連する本を読んでいたとき、その人にとって『ライ麦??』は心に刺さったトゲだったという記述があった。その表現を借りるなら、わたしの心に刺さっていたのはサガンだった。死去の報に接して初めて気づいたことだけど。

「結局彼女は『老いた少女』のように死んだのだ」と、朝日新聞の追悼記事で関川夏央さんは書かれている。

「老いた少女」フランソワーズ、どうか安らかに──。
 
posted by 如月 at 20:48| Comment(2) | TrackBack(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
「悲しみよこんにちは」は映画で見ただけですが、「こんなのありか?」と衝撃を受けました。
(まだ子供だった)
いつになっても鮮烈な作品です。
Posted by うらしま at 2004年09月29日 00:25
映画をご覧になったのですね。

わたしは映画は見たのかどうか、記憶が定かでなくて。

訳書の印象は鮮やかでした。朝吹さんの訳は流れるように美しくて、ちくちくしながらも、サガンの世界にのめり込むように入っていけました。

そのせいか、サガンの印象というと、文庫の、何て言う色なんだろう、シックでそれでいて華やかなカバーの色彩と結びついています。

時代を駆け抜けた女性でしたね。サガンも、また、登場する人物たちも。
Posted by 如月 at 2004年09月29日 12:13
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.seesaa.jp/tb/2148602
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。

この記事へのトラックバック