カスピアン王子に合流するため、峡谷を行くきょうだいとトランプキン。どうも道を間違えたらしい。そのとき、ルーシィの目に映ったのはアスラン! けれども、その姿を見たのはルーシィだけ。ピーターとスーザンは信じない。アスランとともに戦ったこともあったのに。まして、伝説だとしか思っていないトランプキンときたら、老いぼれた年寄りライオンだと決めつける!
ルーシィの言葉を信じたのはエドマンドだけだった。
ルーシィは月明かりの森でアスランに会う。ほかの者を起こし、ついてくるように告げよと。疲れてぐっすり眠る兄姉を起こすのは、末っ子にとっては大仕事。案の定、だれも素直に起きようとはしない。見えないから。自分の目にはアスランの姿が見えなかったから。疲れ果てやっと眠りについたのに、一番小さい者が勝手なことを言って無理やり起こすなんて!
ルーが一人でも行くというならぼくも、とエドマンド。
十二弟子のひとりで、デドモと呼ばれるトマスは、イエスが来られたときに、彼らといっしょにいなかった。それで、ほかの弟子たちが彼に「私たちは主を見た。」と言った。しかし、トマスは彼らに「私は、その手に釘の跡を見、私の指を釘のところに差し入れ、また私の手をそのわきに差し入れてみなければ、決して信じません。」と言った。八日後に、弟子たちはまた室内におり、トマスも彼らといっしょにいた。戸が閉じられていたが、イエスが来て、彼らの中に立って「平安があなたがたにあるように。」と言われた。それからトマスに言われた。「あなたの指をここにつけて、わたしの手を見なさい。手を伸ばして、わたしのわきに差し入れなさい。信じない者にならないで、信じる者になりなさい。」トマスは答えてイエスに言った。「私の主。私の神。」イエスは彼に言われた。「あなたはわたしを見たから信じたのですか。見ずに信じる者は幸いです。」
ヨハネによる福音書 20章24節〜29節
トマスは正直で勇気のある人だった。そんなトマスであっても、見ないで信じることがどんなに困難であったか!
見ないで信じるのかと問われたら、わたしは何と答えるのだろう。


エドマンドはルーシィと行くと言いますが、
これはルーシィを信じていただけでなく、
たとえ不合理なことでも妹と共に行くという
兄の愛もあったと思います。
ちょうど8才の男の子のこの部分の感想をもらいました。
よければのぞいてください。
<a href="http://urashima.cocolog-nifty.com/armadillo/2004/06/post_37.html">http://urashima.cocolog-nifty.com/armadillo/2004/06/post_37.html</a>
りゅうりゅうくんの感想、拝見しました。うらやましいほど素直ですね! ナルニアはやっぱり子どものときに読んでおくべきですね。
ヨハネによる福音書の紹介をありがとうございます。ナルニアの理解にはキリスト教の知識が欠かせないので、いつも如月さんを頼りにしています。
さて読書会BBSでも書きましたが、「見ないで信じられる」かは、その人を人格的にどこまで信じているかだと僕は思いました。これについては、人それぞれの解釈があるのでしょうね。皆さんのご意見を参考にしたいです。
わたしの知識は生半可なものですので、どのように書いたものかと、いつも迷っています。ほとんど感想に過ぎないという気がするので(^^;)
引き続きちょこちょこと書いてみます。また、ご感想をお聞かせいただけたらうれしいです。